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キャンセルカルチャーを振りかざす人々に欠けていた「倫理」と「責任」

2022 年 2 月 26 日,青土社 より「現代思想:現代思想 2022 年 3 月号 特集=憲法を考える」が発売された.いくつかの記事の内,志田陽子氏の書いた『「表現の自由」のワインディング・ロード――「自由」をめぐる、ねじれと理路』について,これを読んだ弁護士であり研究者の平 裕介氏が,以下のように発言している:

オープンレターが差別的な言論を放置等する文化を批判する“目的”の文章であるとしても(文書作成者らの主観はそうだとしても)、現実に通常の一般人の読者(→ 人文学者ら専門家ではない)からみて「社会的信用を剥奪するよう働きかける」“機能”があるかどうかという基準で判断されるべきだろう

報道倫理の同様のいわば社会活動の「パワー」の行使者らに課せられるべき「倫理」「責任」とは具体的に何か?
その中核部分を示したい

例えばそれは、① 個人の氏名を権威ある研究者らが束になって学会等で未だに力のない(あるいはこれから発展途上の)研究者の氏名だけを OL に書かないことだ

② 仮にオープンレター(OL)に特定の(学会的には)弱者的地位にある研究者の氏名や不祥事を晒してしまった場合に、相当数の研究者や専門家から正当な批判があったには、速やかに、OL から、氏名や不祥事に係る記載を削除する対応をとることである

③ 仮にオープンレター(OL)に特定の(学会的には)弱者的地位にある研究者の氏名や不祥事を晒したことが一因となり、当該研究者が所属機関などから重大な不利益措置を受けた場合、OL 署名者らが(も)、それは違法・不当なことだと、議の意思を新たな OL によって示すことである

以上がマスメディアに匹敵する「パワー」を行使する「社会活動」に課せられるべき倫理であり、社会的責任の中核部分だろうと考える(なお、その外延部分を示すことは容易ではない)
訴訟問題にまで発展したオープンレターによる社会活動は ① ~ ③ いずれも守っていない。倫理と責任なきパワーの行使である

こんな非倫理的なことが許される社会になれば、学問や研究者への信用も、大学や学会の自治への信頼も、失われるか軽視されることになるでしょう。オープンレターによって氏名と不祥事を挙げられ学会等から排除された特定の研究者の言論が、無視・軽視され、ひいては「思想の自由市場」も失われるのです

発言元ツイート

一連のツイートに著者から感謝のコメントが届く

2022 年 2 月 25 日にも,ベストセラー『応仁の乱』呉座勇一さんを名古屋大教授らが提訴 「オープンレターを削除する義務ない」 - 弁護士ドットコムという報道があったが,いざ訴訟という段になってもオープンレター差出人たちの認識では名誉毀損には当たらないということらしい.

オープンレター差出人側の弁護団は,"テニュア資格取り消しの処分理由にオープンレターの記載はないとして、オープンレターが呉座さんの法的地位を脅かした事実はないとしている" などと責任逃れを主張するも,その日の晩には呉座氏側の代理人弁護士である吉峯耕平氏が訂正を申し入れて記事を改訂させている.

改めて事実として,オープンレターが日歴協の処分に直接的な影響を与えていたことが判明した.


このような状況であっても "現実に通常の一般人の読者(→ 人文学者ら専門家ではない)からみて「社会的信用を剥奪するよう働きかける」“機能”があるかどうか" を考えたときに,それでも「文化を批判したのであって個人攻撃ではない」「オープンレターには名誉を貶めるパワーなど無い」と主張するのだろうか.


古くからマス・メディアは第四の権力と呼ばれ,"特権的に発揮する公権力に準じるともいえる「パワー」" を自制することが求められてきた.強大な力と広範な影響力を持ちながらも,立法・行政・司法ほど明確に制御されていないからだ.これにより,高潔な倫理と相応の責任を持つことがメディアに期待されている.

翻って,オープンレター差出人および署名者たちはどうであろう.

前提として,個人が個人を批判するだけであれば,それは個々人間のやり取りでしかなく,他者がとやかく言えるものではない.一方で,複数人の連名で声明文を発表して賛同者を募るというのは,同じ問題意識を持つ仲間と連帯を示すことで,一人ひとりの影響力をレゾナンスする目論見があったと言えよう.単に SNS 上の投稿であれば時間とともに消えてしまう「それ」を,署名者一覧として一つのページにまとめ固めることで数の威力を顕示した……

ピーターを諭すベンおじさん:「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

冒頭の引用文で平先生も述べている通り,

  1. 個人を対象としないのであれば個人名は明記しない
  2. 正当な批判があったのであれば,それに真摯に速やかに対応する
  3. 主張したい内容が誤って受け取られてしまったのであれば,そのまま放置するのではなく新たに訂正するようなアクションを起こす

このあたりがオープンレター差出人および署名者に求められる倫理・道義的責任であると私も思う.それなのに,そのような批判は棚に上げて「初めて先方からきたご連絡が対話の要望ではなく、謝罪を前提とした 100 万円の要求でした」などと平気で言わせてしまう……まず対話があるべきと思っているのなら,無視して一方的に訴訟を起こすのではなく自ら対話すればいいのに……

訴訟も始まるということで,オープンレターやキャンセルカルチャーとはなにかということについて,あとは司法が見解を示してくれることだろう.彼らがあくまで人文学者らが前提とするような専門家的な知識なしで読み取れる内容をもとに素直に話を進めてくれることを祈ろう.

これにより,日本におけるキャンセルカルチャーの流入は,キャンセルカルチャーの嚆矢たらんとしたオープンレター差出人たち自身がキャンセルされることによって阻止されることになるかもしれない.

参考文献

「現代思想:現代思想 2022 年 3 月号 特集=憲法を考える」